ガヂヲが文

思考日記のようなものです。

「神経質と多数決」

 

 


自分に対する悪口のような文章になった。

自分はある所では神経質で、変な所無神経だったりする。っていうと、誰にでも当てはまりそうな言葉なんだけど、平均より極端な方な気がする。
精神状態によって、神経質モードになりすぎてしまい、後悔する事がちょいちょいある。

 

 

「うるさい」というクレームで除夜の鐘を中止したところがあった。
クレームに対して「神経質すぎる」っていう意見はよく聞いたし、自分もそう思うところは確かにある。
で、そのクレームに対して「そんな少数のクレーム程度で中止にすんな」「1日ぐらい我慢しろ」「伝統を守れ」っていう意見が引っかかってしまった。
理不尽な少数者排除的な意見だと思ったからだ。
「そんな少数のクレーム程度で中止にすんな」と言われても、少数派が正しいかもしれない。
「1日ぐらい我慢しろ」っていう意見も、本当は双方に言える。
「伝統を守れ」っていう意見も、信仰しているわけじゃないのに、ある種のコスプレ感覚に近いノリで除夜の鐘をつくこと自体が本来の伝統を壊していて、本気の人からすれば、気軽に除夜の鐘をつくなっていう見方もある。
本当の意味では伝統を守ってる人たちはマイノリティだ。

こうなってくると、なんか、クレームした人の視点になりたくなってしまった。
調べると、除夜の鐘中止も「お年寄りの睡眠を気遣って」が始まりだって話があった。本当かどうか分からないけど、少なくとも一理ある。

で、これが大事だと思うんだけど、じゃあ、神経質な人はどうすればいいのか。
そういう話は一回も耳にしなかった。
クレームしたい気持ちを我慢した人は、うまく消化できない感情をどこへ向かわせればいいのか。
これじゃあ、救いがない。
多くの人が幸せに過ごしやすい時間なのに、なぜその人はイライラしてしまうのだろう。。。どうすれば解決するのだろう。。。

 

 


YouTubeが時々広告を流す事にイラっとしてしまう事がある。
テレビだったら、60分番組の中で5回ぐらい広告が入る。しかも、絶妙に悪いタイミングで。
それが当たり前だからストレスに感じない。広告も面白がれる。
YouTubeは、いっそうの事、必ず最初に広告が入るようにすればストレスが減ると思う。映画館で、予告が必ずあるのと同じ。

効率が神経質を生むようになった。
神経質が効率を求めるようになった。
だんだん、多くの人が、神経質な意見に対して、神経質になってる気がする。

 

 

狭い空間になると、ストレスになり、いじめが発生しやすいって話を聞いた事がある。代表的なのが教室。
人間だけじゃなく、動物の実験でも同じような傾向が見られたとか。
インターネットって未開な感じがかつてあって、世界に対して広さを感じた事があったけれど、コンテンツ量が多すぎて狭くなった感覚がある。そして、便利すぎて狭くなった。
情報量がキャパ越え、サービスがミクロ過ぎ、ノイズが増えすぎて、さらに狭さを感じるようになった。
この狭さと、炎上ブームのようなものは繋がっているんじゃないか。
炎上に対して、かなり巨大なイメージを描いてしまうけれど、実際は一部の人が繰り返しアクセスしたりしている。同じ人が狭い中を行ったり来たりしているだけ。

 


変なこと書くけど、そもそも、脳みそが狭くなってしまったような錯覚みたいなものがある(俺だけ?)。
情報洪水がまずある。しかも、入ってくる情報は興味ある範囲ばっかりになるシステムができてる(テレビや新聞を見ない自分がよくないのはある)。興味ないところに面白いものはたくさんあるはずだ。
また、TLに突然現れる、大自然の写真だとか、決定的瞬間だとか、究極的に面白いものと出会うせいで、情報をちゃんと味わう事ができる前に、さらに次々と情報を入れてしまうから麻痺してくる。
すると何でも、なんとなく知っちゃった感があるから、リアルに対する好奇心が生まれにくい。

そういう意味でインターネットはゆっくりにした方がいい。
気持ちや細部を見落とす。
SNSの余韻は意識した方がきっと良い。

 

 

 

映画のアシスタントの下っ端をしていた頃、効率をめちゃくちゃ求められた。
完璧な段取りで早く、そして、ひたすら。限界を超えたレベル。
そして、段取りレベルがアップすればするほど、コンビニや飯屋の店員とかの動きとかにいちいちイライラしやすくなった。
今でも少しある。同じような経験をする人は多い。

最近は写真での1人仕事が多いので比較的、誰かから厳しくされたり、理不尽なレベルで何か言われるような環境じゃなくなって、以前に比べればだけど、だいぶ楽になった。
その分、自分に厳しくしなくちゃいけないところはあるけれど。
神経質になる必要性が確実に減った。

 

 

ホームレスの友達がいる。
僕が見るに彼はかなり幸せそうだ。
大変な時もやっぱりあるみたいけど、トータルで見たら平均より幸せそうだ。
仕事をしていた頃は毎日怒ってたらしい(怒る理由は特に聞いていない)。
今の方が幸せだって。
そんな彼が「神経質であること自体は悪くない」って言っていて、神経質だからこそ気づける視点があると。

神経質な考えが、正しいかどうか、押し付けがましくなってないかなどが大事だと。
とにかく、押し付けるのはよくない。
神経質だからこそ気遣えるいい部分がある。
映画監督の小津安二郎が分かりやすい例かもしれない。
小道具の位置もミリ単位で要求するような人だ。
だからこその名画を作れた。

 

 

「一芸に秀でる者は多芸に通ずる」なんて言葉がある。
ただ、常識と言えばいいのか、普通と言えばいいのか、何かのバランス感覚が崩れると専門馬鹿になりやすい。

自分のやっていることが専門的になればなるほど、バランスが崩れ易い。
太陽の光を浴びたり、体を動かしたり、休んだり、いろんな人とコミュニケーション取ったり、1人で考え事したり、ちゃんと味わったり、自分を見つめたりする事は大事だ。
現代は効率を求められて、分業化され過ぎて、人間のバランスが崩れやすいと聞いた。
ミシンで、大量生産される服のこの部分ばっかりを縫う人とか、想像するだけで、想像をやめたくなる。
とあるカメラマンが「人間的に、歪んだり、偏ったり、独りよがりになる人が多くなると、国が傾いてしまう。特にコミュニケーションで言えばアニメ、戦争オタクなどが増えた事と関係あるかもしれない。」みたいな事を言っていた。

 

 


ストレスの量とスピードの掛け算が神経質になりやすくしているのかもしれない。
忙しかったり、イライラとか落ち込む機会が続くと神経質になりやすい。
ストレスによって、人が神経質になったり、さらにそれを押し付けたくなる衝動がうまれる。

金銭的に大ピンチになると10円レベルで神経質になる。
金銭的に余裕があるため、たかが10円って思うようになる。

で、そのストレスっていろいろあるにはあるんだけど、人の命や、健康、お金とかに対して、尊重しない、無神経な人が、戦争とか原発とか税金とかを利用して、その結果、多くの人がストレスを抱えることにつながってる。
だから、無神経がいつのまにかストレスをめちゃくちゃ作って、人が神経質になり易い構造がある。
その縮図みたいなものが、いろんな仕事場や、学校、コミュニティにたくさん隠れているとも思う。
この縮図を掘り下げたいんだけど、環境が人それぞれ過ぎて難しい。

 


無神経が神経質を生んでいる(っていうと言い過ぎかも?)
神経質そのものは悪いことではない。
ただ、間違ってたり、押し付けたりするのはよくない。

 

 

自分の神経質な理屈を押し付けるのは無神経だ。
「神経質すぎる」って言って、排除するのも無神経だ。

 


自分はもっと思いやりたい。