ガヂヲ通信

思考日記のようなものです。

言葉の呪いについて

言葉の呪いってあると思う。

例えば「疲れた」が口癖の人は疲れやすい。疲れてなくても、疲れてる時のペースで動いてしまいがちだ。
誰かから「お前はダメだ」と言われ続けるとダメになりやすい。


同じように「社会不適合」もそうで、すべての社会(というかお仕事)に適応するのは誰だって不可能。
「社会に出たら、そんなにあまくないよ」みたいなセリフは、その人が働いている会社周りを「社会」と言ってるだけだったりする。
自分は写真家業と動画照明業を主にやっているけれど、変わっている人が多い。
ある日先輩が「俺たちって社会不適合者だからこういう仕事してるんすよね」って話していたことがあって、社会不適合者と自認していた自分としては「その通りだ!!!」って心の中で思った事がある。
漠然とした「社会」という言葉には適合できてなかったけれど、目に見える範囲の社会にはギリギリ適合できてた。
そして、ギリギリ適合できてた頃から時が流れて、今はだいぶ適合できてる。


似ている話で「働く」という言葉も難しく、言葉が「働きたくない」になると呪いの言葉になる。
最近、「働きたくない」という言葉を聞く回数が確実に増えた。

「働く」っていうのは言い換えれば「作業」なんだけど、作業にもいろんな種類がある。
だから
「複数人で作業するの苦手」→「職場のあいつが嫌い」→「そいつさえいなければ助かる」
「パソコンが苦手」→「パソコンを使わない仕事はたくさんある」
「自分を演じるのが苦手」→「自分を演じれさえすれば楽という感覚を掴めたら楽」→もしくは「自分を演じないでできる仕事見つけたら超強いかも」
「体力的に無理」→「手抜きが足りない」

みたいに、感情的な視点から、戦略的な視点に変えると楽になりやすい。
とはいえ、視点を変えてたら簡単に万事解決って事にはさすがにならない。なるかもだけど。

逆の視点で「好きを仕事に」っていう言葉は魔法の言葉のように聞こえて、呪いの言葉に近い。
写真家業は面白いけれど、機材搬入、撮影、機材搬出、レタッチ作業、機材の情報収集、HPづくり、アシスタント手配、育成、営業、ぜんぶ好きって人はいないだろう。

もちろん、搬出作業が好きじゃなくても、充実したお仕事ができれば、楽しく搬出作業ができる。

コンビニでバイトしてた頃がある。
仕事を面白いと思わなかったけれど、メンツが好きで嫌だと思わなかった事がある。個人的に、今までやってきたアルバイトでコンビニはかなり上位だ。

だから、「疲れてる」し、「ダメ」だし、「社会不適合者」で「働きたくない」と思ってる人は、実は意外と疲れてるのは一時的で、ダメじゃないし、見える範囲で適合できる社会が近くにあるかもしれないし、好きな作業はすでにあるのかもしれない。
なので、自分をダメだと思っている人は、自分が思っているより実際は「大丈夫」だったりする。